新しい時代を求めた日本に訪れた苦境の時
栄光からの転落がビジネスマンの胃を苦しめた
1970年、日本は本当の豊かさを信じていた。
眩い光のモニュメント。現在もその塔は、大阪千里の地を見下ろしている。77ヶ国が参加し、6ヶ月183日間に6,420万人が体験した「大阪万国博覧会」の象徴、「太陽の塔」。それは、60年代、東京オリンピックを成功させ、GNPを世界第2位にまで押し上げた自信と、揺るぎない実力、そして時代の勢いがつくり出したものだった。
4世帯に1台まで増加したマイカー普及台数、続々と創刊されるファッション誌、「モーレツからビューティフルへ」「ディスカバー=ジャパン」などの流行フレーズ・・・。働き過ぎだった60年代から、ゆとりを求める「豊かな日本人」への移行が果たせる。1970年、そう誰もが信じていた。
苛立つ日本。「本当の豊かさはまだ遠い未来なのか?」
しかし、そこには厳しい現実が待ち受けていた。71年の「ドル・ショック」、翌72年のベストセラー『日本列島改造論』が引き金となった地価暴騰、浅間山荘事件、翌73年には「オイルショック」が日本を襲った。スーパーマーケットで、ガソリン、トイレットペーパーなどに殺到する人々・・・、今でも20世紀を振り返る時には必ず登場する。
この時期、物価上昇の余波は、砂糖、牛肉などの食品にも及び、前年同月比で50%前後もの高騰ぶりを記録している。そして翌74年、経済実質成長率の「戦後初マイナス成長」。
時代のムードからは「モーレツ」60年代のひたすらな前向きさがなりをひそめ、例えば歌謡曲では明るく元気な恋愛ソングよりも、「いい日旅立ち」のように、寂しい別れの中にも次なる希望を、といった「しっとりイメージ」の歌が人気を集めた。
『本当の豊かさってさぁ、いったいどこにあるっていうんだ!』
暗さを増す70年代の渦中にあったビジネスマン。その『やるせない気持ち』は、苛立ちをぶつけるかのようにかき鳴らされるアコースティックギターの音とフォークソングに乗せて、お酒やタバコのペースを加速した。
“そりゃ胃に悪いぜ~。胃に悪い、ウ~ン胃に悪い。”
72年、『サクロン・S』テレビコマーシャルで放映されたキャッチフレーズ。ビジネスマンのやるせない気持ちに向かって、まるで親しい友人が自分の「胃」を気遣い、肩をポンと叩くような暖かさで、サクロンが、そう語りかけているようであった。
さらにキャッチフレーズはこう続く。
“あ、こりゃイイんだよ~サクロンじゃないか~。こりゃイイんだよ~。”
60年代、身体も胃も酷使したモーレツ社員にスーッと効いた緑の胃ぐすり『サクロン』は、ジレンマに苛立つ70年代を迎えても、ビジネスマンのやるせない気持ちを代弁し、不快な胃にスーッと効いた。
医療の現場で患者をいたわる気持ちが、ビジネスマンを気遣うサクロンの開発哲学やコマーシャル創りにも活かされたのであろう。あえてこの70年代に、親身な暖かい想いを「緑の胃ぐすり」と標榜したことは、当時のビジネスマンにとって、サクロンがより自らの心情の反映されたブランドとして、感じられるようになったことにつながったものと思われる。
もちろんこの連載シリーズの中でも、この先詳しく触れていくつもりだが、興味があれば、エーザイのホームページをひと足先に覗いてみてはいかがだろうか。
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