第3章 ヘリコバクター・ピロリ菌に対する胃粘液の働き【胃粘液のメカニズム】

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胃粘液バリアー

「健康な胃は、胃液によってなぜ自己消化されないのか?」という素朴な疑問からはじまって、「健康な胃は、"胃粘液"に守られている」という胃には他の臓器とは異なる独自の構造があることを紹介してきました。胃は、胃粘液の存在により各種の刺激からまもられていることをご理解頂けましたでしょうか?

1983年オーストラリアのWarren,Marshallによりヘリコバクター・ピロリ菌(以下ピロリ菌)が発見され、胃粘膜障害に重要な役割を果たすことが明らかにされてきました。ピロリ菌の感染者数は、日本では約6,000万人(60歳以上においては、70~80%に感染)と言われています。従来胃の中は強酸性で細菌は住めないと思われていましたが、1919年北里研究所のKasai,Kobayashiは動物の胃にはただれや潰瘍を起こす菌が存在することをすでに報告しています。しかしその当時は全く注目されずに半世紀以上が経過してしまいました。

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<イメージ図>

ピロリ菌の形状は、芋虫のような「らせん状」の菌で、プロペラのような"ひげ(ベン毛)"を使って胃粘液層を移動して、菌が産生する菌体表面のアドヘジンと呼ばれる蛋白質(定着因子)を介して胃粘膜上皮細胞に定着します。ピロリ菌は、酵素のウレアーゼをもち、胃液中の尿素を分解してアンモニアを生成し、酸を中和して中性環境を自らつくり生存しています。ピロリ菌はそのほかリパーゼやプロテアーゼ、またいくつかの毒素蛋白(VacA,CagAなど)を産生し胃粘膜に障害をもたらします。
感染したピロリ菌の胃内分布を組織化学的に調べると、胃粘液層内と胃粘膜の表層粘液細胞に接着して存在しますが、腺粘液細胞への接着は認められません。なお詳しく胃粘液層内でのピロリ菌の生息状態を見ますと興味深い現象が観察されます。第1章で述べましたように胃粘液層(ベール)は表層粘液細胞由来の表層粘液と腺粘液細胞由来の腺粘液が交互に重なり合った層状構造をしていますが、ピロリ菌は表層粘液層内には生息していますが、腺粘液層内には存在していません。

では、ピロリ菌の感染により胃粘膜、粘液にどのような変化が見られるのでしょうか?
ピロリ菌が感染している胃粘膜では、胃内腔側の表層粘液細胞の表面が不揃いになり、細胞の脱落が起こり、粘膜固有層では好中球浸潤が認められます。表層粘液細胞が産生・分泌する粘液量は減少し、粘液の性質も変化していますが、腺粘液細胞では粘液の産生はむしろ亢進しています。ピロリ菌が存在する部分の粘液層は厚さが薄くなり層状構造が乱れ大小さまざまな空胞が認められます。

ピロリ菌の感染に伴って起こった胃粘液層の変化は、防御因子としての胃粘液の作用を減弱していると考えられます。このような粘液の変化は、ピロリ菌由来の酵素、リパーゼやプロテアーゼ、アンモニアにより引き起こされますが、ピロリ菌を除菌すると胃粘液層はピロリ菌非感染の層の厚さに戻り、きちんとした層状構造を回復します。

ピロリ菌は胃表層粘液細胞の表面および表層粘液細胞から分泌された粘液層に限局して存在しますが、腺粘液細胞や腺粘液の粘液層にはなぜ生息できないのでしょうか?

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腺粘液の特有な糖鎖がピロリ菌増殖を阻止する働きに関与している。

この疑問に対する答えが、信州大学中山淳教授のグループにより米国の科学誌"Science"に2004年報告されました※。すなわち、腺粘液細胞が産生・分泌する腺粘液に特有な糖鎖(GlcNAcα残基をもつO-グリカン)が、ピロリ菌の生育に必須な細胞壁成分(コレステリル-α-D-グルコピラノシド)の合成を阻害することによって、抗生物質と同様な生理活性を持つことが明らかにされました。このことは腺粘液がピロリ菌感染に対して防御的な作用をもちバリアーとして機能していることを示しています。表層粘液と腺粘液がピロリ菌感染に対してそれぞれ異なった動態をとることは、粘膜防御に際して相互に連携し合ってピロリ菌に対している可能性が考えられます。胃粘液は、胃酸などの刺激から胃を守るだけでなく、ピロリ菌に対しても重要な役割を担っているといえましょう。

※第1章 胃粘液への尽きない興味「胃粘液の研究の歴史」参照

胃粘液の働き

  1. 胃粘液は、粘膜の表層および胃腺内においてバリアーとして機能する。
  2. 粘膜の表層では、「表層粘液」と「腺粘液」が層状に重なり安定した構造を保持し、塩酸などに対するバリアー機能を示している。
  3. 「表層粘液」と「腺粘液」は異なった生体機能を示し、「腺粘液」には抗ヘリコバクター・ピロリ菌作用がある。

監修

木村 裕之 先生Dr_Kimura

  • 医療法人社団ファーストムーブメント
    木村メディカルクリニック 理事長・院長
    内科・胃腸科・消化器科・循環器内科・呼吸器内科・神経内科・アレルギー科

経歴:
1988年3月 慶應義塾大学医学部卒業
1988年6月 医師国家試験合格 慶應義塾大学医学部内科
1990年6月 慶應義塾大学伊勢慶應病院内科
1992年6月 慶應義塾大学医学部消化器内科
1993年8月 慶應義塾大学医学部救急部
1999年1月 慶應義塾大学医学部救急部医局長
2002年1月 慶應義塾大学医学部救急部医長
2003年10月 慶應義塾大学医学部消化器内科
2004年11月 木村メディカルクリニック開設
2007年11月 医療法人社団ファーストムーブメント設立

まとめ

第4章では、「胃粘液の新たな話題」についてお話します。

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